脊髄損傷入院1日目より
からだを動かすことはできません。
上を向いて寝ているだけです。
ただ痛みがなかったことは幸いでした。
左足は動かない。両手指先動かない。
左足は伸びているのに曲がっている感覚(位置覚が欠損している)。
「左足が曲がっているから伸ばして!」「伸びてるよ」という会話をよくしました。
右肋骨辺りから下は、熱い、冷たい、痛いがわからない。
やること
①看護師さんが様子を見に来てくれると
「足の曲げ伸ばしをしてほしい」
と伝えてやってもらう。
②この先からだはどうなっていくのか見えない。
車椅子での生活と立って歩くことができるのとでは大違い。
車椅子であろうがなかろうが、指先が使える使えないでは大違い。
寝たままでやっていたことは、ピアノの鍵盤をイメージし、指先が動いているつもりでドレミファソラシドを弾いていました。(幼稚園の頃行っていたヤマハオルガン教室が役に立ちました^^)
寝たままでしたのでやっていたことはこのくらいです。
食事は?
もちろん自分で食べることはできません。
ベッドを30°起こし、介助していただきながら食します。
ただ口に入るものを目で見ることができません。
「焼き鳥です」「ごはんです」「りんごです」…
見てたべれるということがどれだけ幸せなことか…
また食べさせてもらうことがこんなに大変だとは…
2、3日経った頃、右手指先が力はないものの少し動き出しました。
作業療法士さんが洗濯バサミでのリハビリを推奨。洗濯バサミをパジャマにつけたり、外したりすることを始めました。
そんな中、家内が転院の話を進めてくれ、11月15日に脊髄手術に定評のある神戸市内の病院へ転院することになりました。(当時神戸市垂水区在住でした)
受傷後間もないことや、岡山県から兵庫県へ県境をまたいでの転院、搬送距離などの問題をクリアしての転院でした。
15日転院
津山中央病院ではベッドに横たわったままでしたので、覚えているのは天井の模様だけ。
人は見る対象を正面で見ないと記憶できないと聞いたことがあります。寝たままではお世話になった方々を正面で見ることができなかったのでしょう。大変お世話になった看護師さんたちの顔を覚えていないのが大変心残りでした。
津山中央病院所有の救急車で神戸の北須磨病院へ
医師も帯同してくださりました。
ただ振動の度、腕の肘から先の神経痛。これにはさすがに参りました。
そして無事北須磨病院到着。